人気ブログランキング | 話題のタグを見る

道標(みちしるべ)




道標(みちしるべ)_e0273524_19573141.jpg






この冬思い切って作品を図録として印刷しました。
それをドイツに行く前に知り合いに渡したのですが、
それがまたその知り合いに渡りそしてドイツに渡って、
ドイツで展覧会を企画する専門家の目にとまり、
その場で個展のオファーにつながりました。
思わぬ展開に心底驚きました。
その時言われた私の作品の感想は、
ヨーロッパの国々でもアメリカでも、
今までに見た事がないというものでした。





全ての表現活動にはその根底にこの世界をどう見るかという、
哲学や世界観といったものが必要だと思います。
そこから絵画であったり音楽や文学や舞踏などの表現イメージが現れ、
そして最後にその表現に必要な技術が求められるのだと思います。

一人一人が皆違うように、
哲学、世界観、表現も一人一人皆違います。
違わなければ生まれてきた意味がありません。
アートも同じだと思います。

私が墨絵を描き出したのは表現上の必要があったからです。
自分が表現したいイメージに近付く方法を求めて、
墨絵という表現方法に辿り着きました。
そして描いた絵は日本画とも水墨画とも違いました。

しかしここ数年銀座の個展などで発表してきた墨絵は、
伝統的な画法と違うという理由で酷評されてきました。
日本の芸術は他と違う事を嫌うのです。
一方ドイツではその同じ絵が、
他と違うという理由で評価されたのでした。





信心銘にこんな言葉があります。

境由能境、能由境能  境は能によって境なり、能は境によって能なり
欲知両段、元是一空  両段を知らんと欲すれば、元是れ一空

能力またはそれに伴う評価というものは、
その時の周囲の状況で如何様にも変わります。
ですから褒められてもけなされても、
多少の感情の起伏はともかくそれに振り回される事なく、
自分の道を守り通さなければなりません。
元是一空、どちらにも実体は無いのです。
また無門関にはこんな言葉があります。

従門入者不是家珍 門より入る者(物)は是れ家珍にあらず
従縁得者終始成壊 縁に従って得る者(物)は終始成壊す 

一行目にはこうあります。
既に確立されたものを身につけても自分の本当の宝にはならない、と。
日本の古い言葉では「格より入って格より出でよ」と言います。
しかし日本の中心そして地方の中心にいらっしゃる専門家の方々は、
これを認める事ができません。
認めてしまえば狭い世界でのご自身の立場を守れなくなるからです。

また二行目にはこうあります。
何かの縁によって得るものは常に何かの縁によって消えて行く、と。
諸行無常、諸法無我、そこに実体はありません。
他人の評価も同じです。
ですから何が良いか悪いか正しいか正しくないかという様な、
相対的な評価・価値・基準ではなく、
そのどちらでもない絶対的なものを掴みなさいと言っています。
そして頌にはこうあります。

大道無門 大道に門無く
千差有路 千差の路有り
透得此関 此の関を透得せば
乾坤独歩 乾坤に独歩せん

このように生きるのはとても難しい事ですが、
長い人生の目標・目的を見失わないために、
そして一時的な評価に惑わさないためにも、
古人の言葉を時々思い出すのはとても大切だと思います。
長い星霜を経て伝えられた古典は、
その一番の道標になると思います。





そして更に言うと、
その時その場所が目標・目的、
つまり心が常に今ここにあるならば、
決して道に迷う事はないと古人は言います。
例えば臨済録にはこうあります。

随処作主、立処皆真  随処に主と作れば、立つ処皆真なり

「日日是好日」も言い方は違いますが意味は同じです。
毎日良い日が続くという意味ではありません。

真理は言葉では語れませんので言い方は皆違いますが、
(もし語れれば全ての人に共有され世界は幸福で満たされています)
古人の言葉は多くはここに集約されます。
証道歌にはこう言います。

一句了然超百億  一句を了然すれば百億を超える





今回のドイツの個展も今までと同じく全力で当たりますが、
結果ではなくその過程の一瞬一瞬が大切だと思っています。
そして芭蕉の言葉、

古人の跡を求めず、古人の求めたる処を求めよ

過去の人の真似をするのではなく、
過去の人が求めたものを求めて、
これからも歩んで行きたいと思います。














by farnorthernforest | 2017-12-23 21:33 | 絵について

制作や旅や登山についてなど。


by 山下康一