
人は何故旅に出るのだろうか。
多く旅をして暮らしていると、
時々日常と旅の境目が曖昧になる事がある。
松尾芭蕉は『奧の細道』をこう書き始めている。
「月日は百代の過客にして、
行きかふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ、
馬の口とらへて老をむかふる者は、
日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。」
日常の生活の中で、
時々、
突然に、
旅で触れた風景に吸い込まれてしまう事がある。
それは冬の北海道であったり、春の信濃路であったり、
北アルプスや、上越国境の山々であったり、
パリの街角であったり、ドイツの片田舎であったり、
グランドキャニオンの夕日や、アラスカのオーロラであったり、
フィレンツェの雑踏、スペインの酒場、
上海の市場や、バンコクの寺院であったりする。
そんな時、
私の心は旅人に戻り、
日常の生活の中でも、
流れる”時”を見つめている。
旅と日常では時間の流れ方が違う。
忙しい毎日の暮らしの中では、
時間は管理し使用する何物かになる。
しかし一度旅に出ると、
時間が私達に語りかけてくる。
それは沈黙の言葉だ。
沈黙は言葉と言葉の間ではなく、
言葉の背後にずっとあって、
言葉が生まれて帰る場所だ。
そしてそこは言葉だけではなく、
自分自身の故郷でもある。
旅はそれに気付かせてくれる。
だから人は旅に出るのかも知れない。
日常の中に旅を見ると、
見慣れた風景も今一瞬の出会いだと気づく。
そして私の命もまた同じ運命の中にある。
だから私は特に絶景と言う訳ではなく、
何でもないありふれた風景を描くのかも知れない。
全ては流れ移り変わり、
そして沈黙に帰って行く。
絵を描く事は私にとって、
それを見つめる手段である。
そしてその中に生きて在る練習である。
ブログ『絵と旅』の2017年までの主要記事を一冊にまとめました。