絵と旅
2012年 04月 06日
人は何故旅に出るのだろうか。
多く旅をして暮らしていると、
時々日常と旅の境目が曖昧になる事がある。
松尾芭蕉は『奧の細道』をこう書き始めている。
「月日は百代の過客にして、
行きかふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ、
馬の口とらへて老をむかふる者は、
日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。」
日常の生活の中で、
時々、
突然に、
旅で触れた風景に吸い込まれてしまう事がある。
それは冬の北海道であったり、春の信濃路であったり、
北アルプスや、上越国境の山々であったり、
パリの街角であったり、ドイツの片田舎であったり、
グランドキャニオンの夕日や、アラスカのオーロラであったり、
フィレンツェの雑踏、スペインの酒場、
上海の市場や、バンコクの寺院であったりする。
そんな時、
私の心は旅人に戻り、
日常の生活の中でも、
流れる”時”を見つめている。
旅と日常では時間の流れ方が違う。
忙しい毎日の暮らしの中では、
時間は管理し使用する何物かになる。
しかし一度旅に出ると、
時間が私達に語りかけてくる。
それは沈黙の言葉だ。
沈黙は言葉と言葉の間ではなく、
言葉の背後にずっとあって、
言葉が生まれて帰る場所だ。
そしてそこは言葉だけではなく、
自分自身の故郷でもある。
旅はそれに気付かせてくれる。
だから人は旅に出るのかも知れない。
日常の中に旅を見ると、
見慣れた風景も今一瞬の出会いだと気づく。
そして私の命もまた同じ運命の中にある。
だから私は特に絶景と言う訳ではなく、
何でもないありふれた風景を描くのかも知れない。
全ては流れ移り変わり、
そして沈黙に帰って行く。
絵を描く事は私にとって、
それを見つめる手段である。
そしてその中に生きて在る練習である。
ブログ『絵と旅』の2017年までの主要記事を一冊にまとめました。
by farnorthernforest
| 2012-04-06 01:06
| 絵の事について