古人に学ぶ
2013年 02月 12日
日々日常の生活の中で、
時々、ふと、
古人の言葉を思い出す事がある。
その都度本棚に原典を探して、
そしてしばし読み耽る。
読む度に新たな発見がある。
初めて古典に触れたのは、
中学の国語の教科書に載っていた『奧の細道』の書き出し部分だ。
学校が終わってすぐに本屋に走り、
全文が載っている原典を買った。
それは真茶色に紙焼けしたが、
今も大切に手元にある。
月日は百代の過客にして、
行かふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ、
馬の口とらへて老いをむかふる者は、
日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。
芭蕉と言えば、
「古池や蛙飛び込む水の音」が有名だが、
最初は”それがどうした”程度にしか思わなかった。
ところがある日突然、
途轍もない衝撃を受けたのである。
ここに世界の全てが描かれている。
しかしその後同時代の盤珪禅師がこの句について、
”水の音は余計”と言ったと知り、
更に大きな衝撃を受けた。
自分は余りに勉強が足らない。
芭蕉の句には、
いつも何か覚悟の様なものを感じる。
それは敢えて言葉にすれば、
”諸行無常に対する全面的受容”とでも言えるだろうか。
やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声
命二つの 中に生きたる 桜かな
野ざらしを 心に風の しむ身かな
その『野ざらし紀行』では、
富士川の辺りで泣いている捨て子をみつけ、
汝ちゝににくまれたるか、
母にうとまれたるか。
父はなんぢを悪(にくむ)にあらじ、
母は汝をうとむにあらじ。
唯是天にして、
汝が性(さが)のつたなきをなけ。
そして、
猿をきく人 すて子にあきの かぜいかに
と詠う。
俳諧の世界に命を賭けようとも、
現実世界では何も出来ないに等しい。
それでも芭蕉はこの道を行く。
その覚悟が言葉の端々に表れている。
予が風雅は夏炉冬扇の如し、
衆にさかひて用ゐるところなし。
つゐに無能無芸にして、
只此一筋に繋がる。
西行の和歌における、
宗祇の連歌における、
雪舟の絵における、
利休が茶における、
其の貫道する物は一なり。
宮本武蔵の『五輪書』の書き出しも、
私の大好きな文の一つだ。
我、若年の昔より兵法の道に心をかけ、
十三歳にして初めて勝負をす。
その相手、
新当流有馬喜兵衛と言う兵法者に打ち勝ち、
十六歳にして但馬国秋山と言う強力の兵法者に打ち勝つ。
二十一歳にして都へ上り、
天下の兵法者に会い、
数度の勝負を決すといえども、勝利を得ざるという事なし。
その後国々所々に至り、諸流の兵法者に行き会い、
六十余度まで勝負すといえども、
一度もその利を失わず。
そのほど、年十三より二十八、九までの事なり。
我、三十路を越えて跡を思い見るに、
兵法至極して勝つにはあらず、
自ずから道の器用ありて、天理を離れざる故か。
又は他流の兵法、不足なる所にや。
その後尚も深き道理を得んと、朝鍛夕錬してみれば、
自ずから兵法の道に合う事、我五十歳の頃なり。
それよりこのかたは、
尋ね入るべき道なくして、光陰を送る。
兵法の利に任せて、諸芸・諸能の道となせば、
万事において、我に師匠なし。
今この書を作るといえども、
仏法・儒道の古語をも借らず、
軍記・軍法の古き事をも用いず、
この一流の見立て、実の心を顕す事、
天道と観世音を鏡として、
十月十日の夜寅の一天に、
筆を執って書き初むるものなり。
この気合いの鋭さには、
剣術を知らない者でも圧倒される思いがする。
そして武蔵が描いた『枯木鳴鵙図』の強さ鋭さが、
確かに武蔵その人を証明しているように思える。
こういう古人の気合いを学びたくて、
その後も様々な本を読んだ。
沢庵禅師の『不動智神妙録』や『太阿記』、
オイゲン・ヘリゲルの『日本の弓術』、
更にそこから原典の原典とも言うべき、
『金剛般若経』やその他の経典・語録などだ。
この冬突然思い出して、
20年以上振りに山岡鉄舟の本を読み返している。
縁が熟したと言うのだろうか、
今はとても心に沁みる。
夫れ、剣法正伝の真の極意者、別に法なし、
敵の好む処に随ひて勝ちを得るにあり。
敵の好む所とは何ぞや。
両刃相対すれば必ず敵を打んと思ふ念あらざるはなし。
故に我体を総て敵に任せ、
敵の好む処に来るに随ひ勝つを真正の勝と云ふ。
・・・
然りと雖も、此術や易きことは甚だ易し、
難きことは甚だ難し。
学者容易のことに観ること勿れ。
即今諸流の剣法を学ぶ者を見るに、是と異なり、
敵に対するや直に勝気を先んじ、
妄りに血気の力を以て進み勝たんと欲するが如し。
之を邪法と云ふ。
如上の修業は一旦血気盛なる時は少く力を得たりと思へども、
中年過ぎ、或は病に罹りしときは身体自由ならず、
力衰へ業にふれて剣法を学ばざるものにも及ばず、
無益の力を尽くせしものとなる。
是れ、邪法を不省所以と云ふべし。
学者深く此理を覚り修行鍛錬あるべし。
・・・
(剣法邪正弁)
・・・
予が発明する所を無刀流と称するは、
心外に刀なきを無刀といふ。
無刀とは無心と言ふが如し。
無心とは心をとどめずと言ふ事なり。
心をとどむれば敵あり、
心を止めざれば敵なし。
所謂孟軻子の浩然の気天地の間に塞つといふは、
即ち無敵の至極なり。
昼夜工夫を凝して怠らざる時は、
一旦豁然として無敵の地を発明せん。
必ず疑を容れず刻苦修行あるべし。
(無刀流と称する説)
無刀とは心の外に刀なしと云事にして、三界唯一心也。
一心は内外本来無一物なるが故に、敵に対する時、
前に敵なく、後に我なく、妙応無方、朕迹を留めず。
是、余が無刀流と称する訳なり。
・・・
又其日用事々物々上に於けるも亦然り。
活発自在にして物に滞らず、
坐せんと要せば便ち坐し、
行かんと要せば便ち行く。
語黙動静一々真源ならざるはなし。
心刀の利用亦快ならずや。
(剣術の流名を無刀流と称する訳書)
剣術を知らない私には、
柳生新陰流の『兵法家伝書』や、
宮本武蔵の『五輪書』の本文はよく理解出来なかった。
しかし山岡鉄舟のこの言葉はとても良く分かるのである。
つまりそれはそっくり絵に置き換えられるからだ。
「殺人刀活人剣」という言葉がある。
人を殺す為の刀で人を活かす。
活殺自在の剣の境地である。
絵の世界にもこれは確かにあると思う。
山岡鉄舟の刀を筆に置き換え絵に活かして行く事が、
私のこれからの、
そして一生の仕事になるだろう。
今ここにあって先人達に学べる事に唯々感謝するしかない。
月日は百代の過客にして、
行かふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ、
馬の口とらへて老いをむかふる者は、
日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。
芭蕉と言えば、
「古池や蛙飛び込む水の音」が有名だが、
最初は”それがどうした”程度にしか思わなかった。
ところがある日突然、
途轍もない衝撃を受けたのである。
ここに世界の全てが描かれている。
しかしその後同時代の盤珪禅師がこの句について、
”水の音は余計”と言ったと知り、
更に大きな衝撃を受けた。
自分は余りに勉強が足らない。
芭蕉の句には、
いつも何か覚悟の様なものを感じる。
それは敢えて言葉にすれば、
”諸行無常に対する全面的受容”とでも言えるだろうか。
やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声
命二つの 中に生きたる 桜かな
野ざらしを 心に風の しむ身かな
その『野ざらし紀行』では、
富士川の辺りで泣いている捨て子をみつけ、
汝ちゝににくまれたるか、
母にうとまれたるか。
父はなんぢを悪(にくむ)にあらじ、
母は汝をうとむにあらじ。
唯是天にして、
汝が性(さが)のつたなきをなけ。
そして、
猿をきく人 すて子にあきの かぜいかに
と詠う。
俳諧の世界に命を賭けようとも、
現実世界では何も出来ないに等しい。
それでも芭蕉はこの道を行く。
その覚悟が言葉の端々に表れている。
予が風雅は夏炉冬扇の如し、
衆にさかひて用ゐるところなし。
つゐに無能無芸にして、
只此一筋に繋がる。
西行の和歌における、
宗祇の連歌における、
雪舟の絵における、
利休が茶における、
其の貫道する物は一なり。
宮本武蔵の『五輪書』の書き出しも、
私の大好きな文の一つだ。
我、若年の昔より兵法の道に心をかけ、
十三歳にして初めて勝負をす。
その相手、
新当流有馬喜兵衛と言う兵法者に打ち勝ち、
十六歳にして但馬国秋山と言う強力の兵法者に打ち勝つ。
二十一歳にして都へ上り、
天下の兵法者に会い、
数度の勝負を決すといえども、勝利を得ざるという事なし。
その後国々所々に至り、諸流の兵法者に行き会い、
六十余度まで勝負すといえども、
一度もその利を失わず。
そのほど、年十三より二十八、九までの事なり。
我、三十路を越えて跡を思い見るに、
兵法至極して勝つにはあらず、
自ずから道の器用ありて、天理を離れざる故か。
又は他流の兵法、不足なる所にや。
その後尚も深き道理を得んと、朝鍛夕錬してみれば、
自ずから兵法の道に合う事、我五十歳の頃なり。
それよりこのかたは、
尋ね入るべき道なくして、光陰を送る。
兵法の利に任せて、諸芸・諸能の道となせば、
万事において、我に師匠なし。
今この書を作るといえども、
仏法・儒道の古語をも借らず、
軍記・軍法の古き事をも用いず、
この一流の見立て、実の心を顕す事、
天道と観世音を鏡として、
十月十日の夜寅の一天に、
筆を執って書き初むるものなり。
この気合いの鋭さには、
剣術を知らない者でも圧倒される思いがする。
そして武蔵が描いた『枯木鳴鵙図』の強さ鋭さが、
確かに武蔵その人を証明しているように思える。
こういう古人の気合いを学びたくて、
その後も様々な本を読んだ。
沢庵禅師の『不動智神妙録』や『太阿記』、
オイゲン・ヘリゲルの『日本の弓術』、
更にそこから原典の原典とも言うべき、
『金剛般若経』やその他の経典・語録などだ。
この冬突然思い出して、
20年以上振りに山岡鉄舟の本を読み返している。
縁が熟したと言うのだろうか、
今はとても心に沁みる。
夫れ、剣法正伝の真の極意者、別に法なし、
敵の好む処に随ひて勝ちを得るにあり。
敵の好む所とは何ぞや。
両刃相対すれば必ず敵を打んと思ふ念あらざるはなし。
故に我体を総て敵に任せ、
敵の好む処に来るに随ひ勝つを真正の勝と云ふ。
・・・
然りと雖も、此術や易きことは甚だ易し、
難きことは甚だ難し。
学者容易のことに観ること勿れ。
即今諸流の剣法を学ぶ者を見るに、是と異なり、
敵に対するや直に勝気を先んじ、
妄りに血気の力を以て進み勝たんと欲するが如し。
之を邪法と云ふ。
如上の修業は一旦血気盛なる時は少く力を得たりと思へども、
中年過ぎ、或は病に罹りしときは身体自由ならず、
力衰へ業にふれて剣法を学ばざるものにも及ばず、
無益の力を尽くせしものとなる。
是れ、邪法を不省所以と云ふべし。
学者深く此理を覚り修行鍛錬あるべし。
・・・
(剣法邪正弁)
・・・
予が発明する所を無刀流と称するは、
心外に刀なきを無刀といふ。
無刀とは無心と言ふが如し。
無心とは心をとどめずと言ふ事なり。
心をとどむれば敵あり、
心を止めざれば敵なし。
所謂孟軻子の浩然の気天地の間に塞つといふは、
即ち無敵の至極なり。
昼夜工夫を凝して怠らざる時は、
一旦豁然として無敵の地を発明せん。
必ず疑を容れず刻苦修行あるべし。
(無刀流と称する説)
無刀とは心の外に刀なしと云事にして、三界唯一心也。
一心は内外本来無一物なるが故に、敵に対する時、
前に敵なく、後に我なく、妙応無方、朕迹を留めず。
是、余が無刀流と称する訳なり。
・・・
又其日用事々物々上に於けるも亦然り。
活発自在にして物に滞らず、
坐せんと要せば便ち坐し、
行かんと要せば便ち行く。
語黙動静一々真源ならざるはなし。
心刀の利用亦快ならずや。
(剣術の流名を無刀流と称する訳書)
剣術を知らない私には、
柳生新陰流の『兵法家伝書』や、
宮本武蔵の『五輪書』の本文はよく理解出来なかった。
しかし山岡鉄舟のこの言葉はとても良く分かるのである。
つまりそれはそっくり絵に置き換えられるからだ。
「殺人刀活人剣」という言葉がある。
人を殺す為の刀で人を活かす。
活殺自在の剣の境地である。
絵の世界にもこれは確かにあると思う。
山岡鉄舟の刀を筆に置き換え絵に活かして行く事が、
私のこれからの、
そして一生の仕事になるだろう。
今ここにあって先人達に学べる事に唯々感謝するしかない。
by farnorthernforest
| 2013-02-12 23:05
| 絵の事について