画歴・絵について・他
2012年 04月 18日
ご覧戴きまして誠に有難うございます。
1992年 高崎駅ビルギャラリー
1994年 一番街画廊(高崎市)
1995年 高崎郵便局、大和屋ギャラリー(高崎市)
1996年 高崎郵便局
1997年 ジンジャーマン(大町市)
1998年 ゆ~ぷる木崎湖(大町市/2,3月)、高崎郵便局
2000年 ギャラリーいーずら(大町市)
2001年 ギャラリーいーずら(大町市)
2002年 アートギャラリー穂高(安曇野市)、ギャラリーいーずら(大町市)
2003年 北時計(富良野市)、札幌市資料館、札幌時計台ギャラリー
2004年 北時計(富良野市)、アルテピアッツァ美唄ギャラリー(美唄市/2,9月)、
熊谷守一美術館ギャラリー(池袋)、ギャラリー近江(銀座)、
オリジナル画廊(札幌市)、ギャラリー像(飯田橋)
2005年 ジンジャーマン(大町市)、ル・コパン(松本市)、イオンホール(安曇野市)、
熊谷守一美術館ギャラリー(池袋)
2006年 喫茶こまくさ(大町市)、ぎゃらりー創想の森(大町市)、ギャラリー近江(銀座)、
熊谷守一美術館ギャラリー(池袋)
2007年 ギャラリーいーずら(大町市)、ぎゃらりー創想の森(大町市)、
いーずら大町特産館、平安堂長野店、ギャラリー像(飯田橋)
2008年 ギャラリー宮川町(京都市)、ギャラリー近江(銀座)、高崎シティギャラリー
アルテピアッツァ美唄ギャラリー(美唄市)、オリジナル画廊(札幌市)、
2009年 ゆいの家(高崎市)、熊谷守一美術館ギャラリー(池袋)、ギャラリー像(飯田橋)
2010年 アルテピアッツァ美唄ギャラリー(美唄市)、ギャラリー近江(銀座)
2011年 いーずら大町特産館、ジンジャーマン(大町市)
2012年 すずの音ホール(松川村)、アートカフェ清雅(安曇野市/4,6,7,12月)、
くろよんロイヤルホテル(大町市)、イオンホール(安曇野市)、
ギャラリー近江(銀座)
2013年 アートカフェ清雅(安曇野市/1,3,8,10月)、新さっぽろギャラリー(札幌市)、
彩波画廊(銀座)
2014年 小川村郷土歴史館(2,5月)、アートカフェ清雅(安曇野市/2,12月)、
黒い森美術館(北広島市)
2015年 砂澤ビッキ記念館ギャラリー(音威子府村)、ギャラリー粋ふよう(札幌市)、
アートカフェ清雅(安曇野市)
2016年 かんてんぱぱ門前ギヤラリー(長野市)、ギャラリー鬼無里(長野市)
彩波画廊(銀座)、イオンホール(安曇野市)
2017年 ギャラリー鬼無里(長野市)、井上百貨店(松本市)、カフェ&ギャラリー安曇野縁縁、
松本市美術館多目的ホール、熊谷守一美術館ギャラリー(池袋)
2018年 ギャラリー鬼無里(長野市)、井上百貨店(松本市)、
PRESENCE-kulturlounge(ドイツ・フランクフルト)
2019年 Lexus Form Darmstadt(ドイツ・ダルムシュタット)、高崎シティギャラリー、
ギャラリー鬼無里(長野市)、ギャラリー粋ふよう(札幌市)、井上百貨店(松本市)、
北のアルプ美術館(斜里町・2019年10月~2020年9月)
2020年 北のアルプ美術館(斜里町)
2021年 カフェ風のいろ、井上百貨店(松本市)
2022年 カフェ&ギャラリー安曇野縁縁、東一条ギャラリー(中標津町)、
ギャラリー鬼無里(長野市)
2023年 井上百貨店(松本市)、Shumei Hall Gallery(アメリカ・カリフォルニア州パサデナ)
合同展示多数
「山、沈黙の場」
美術史家 マリーナ・メディーナ
人類の山での体験には驚くべきものがあります。
何故ならそれによって多くの文化や宗教で、
神あるいは神々は山に住むと信じられているからです。
つまり山は宗教と霊性に深く関係があるのです。
ギリシャ神話では、
神ゼウスはクレタ島のイディ山で生まれ育ったと信じられています。
そして後にオリンポス山をその家とし、
ギリシャの神となりました。
私達の文化でも、
山は歴史上欠く事の出来ない役割を演じています。
何故なら多くの重要な出来事が山で起きたと、
ユダヤ教やキリスト教やイスラム教、
つまりエイブラハム系宗教の聖典で語られているからです。
モーゼは神ヤハウェとシナイ山で何度も会いました。
そしてそこで十戒を授かりました。
それは神と人との間の掟として定められ、
人と人との関係の在り方にもなりました。
ノアの箱船は大洪水によって四十日四十夜流されてアララト山に漂着し、
そこから新しい人類の歴史が始まりました。
キリスト教徒達はイエスが信徒達に聖なる姿を現したタボル山を、
神の変容の地と位置付けています。
コーランによれば、
ムハンマドはヒラー山で神からのお告げを受けました。
東洋の伝統的な宗教によると、
山は神、あるいは神々や精霊達の座、
あるいはそれ等の現れる場であると信じられています。
カイラス山は水晶に似た左右対象の独特な形から、
チベット仏教、ヒンズー教、ジャイナ教、ボン教の聖なる山とされています。
そしてこの宗教的重要性と尊厳から、
この山は未だに登られる事なく残されています。
そしてその教えを信じる何千という巡礼者達が、
毎年このカイラス山の麓を回っています。
富士山、日本で最も高く、そして最も美しいこの山は、
神道において常に神の山として崇められています。
山麓や山腹にはおびただしい数の神社が建てられており、
様々な神々が祀られ祈りが捧げられています。
数多くのアーティストの中で、
山下康一のように山を霊性の場として表現し、
伝えている人は他にいません。
彼の作品は沈黙と静寂を周囲に放ち、
私達に全宇宙とのつながりを感じさせてくれます。
山下康一は日本の墨絵として知られる古い伝統的な絵画を専門としています。
日本では墨絵は禅仏教と密接に関係しています。
その本質は単純質素に還元する事であり、
極端なまでの完璧さを求めて注意が払われます。
元々この絵画技法は中国の禅僧によって用いられ、
後に日本での禅仏教の拡がりと共に、
それぞれの禅宗で集中的に用いられてきました。
そしてその本質還元の精神は、
日本の芸術に広く反映されています。
墨絵の技術を習得する為には、
途方も無い繊細さと気配りが必要になります。
何故なら墨絵は一筆一筆に失敗が許されないからです。
アーティスト山下康一のどの絵にも、
山の霊的背景が感じられるのは注目に値します。
そして彼の存在の特性が表れていて、
観る者に禅仏教の天地一体の感覚を完璧なまでに感じさせてくれます。
山下康一は禅仏教の本質である、
大いなる静謐の場としての自然を印象的に表現する、
偉大な墨絵マスターです。
この展覧会にお越しの皆様並びにこの画集をお読み下さった皆様が、
禅仏教の精神に触れて、
それを喜びと共に分かち合えます事を願っています。
Marina Medina Art Consulting 2019年 企画展
山下康一『Berge. Orte der Stille (山、沈黙の場) 』Lexus Forum Darmstadt,
図録『Berge. Orte der Stille (山、沈黙の場) 』解説文より
「これまでの歩み」
山下康一
私は群馬県に生まれ、幼少の時から自然が好きで、
里山で岩や木に登ったり川で泳いだりして遊びました。
長じて谷川連峰や北アルプスに登る様になり、
山を描きたくて二十二歳の時に独学で絵を始めました。
最初は油絵を描きましたが、
数枚描いてすぐに水彩画に転向しました。
油絵の持つ物質的で堅牢な感じが、私の描きたい世界、
この世界に感じている無常感と無限感とは違っていたからです。
それから水彩画を描いて来ましたが、
絵を始めて二十三年が経った四十五歳からは、
墨でも描く様になりました。
水彩では表現しきれないものを感じていたからです。
水彩画では薄い透明な色層を重ねて無常感を描こうとしました。
仏教の五蘊仮和合をイメージしていたのです。
しかし無限感は摑み切れずにいました。
そして水彩に限界を感じ墨で描く様になったのですが、
墨は水彩と同じ様に描いては絵にならない事が解りました。
様々に試行錯誤する中で、次々と発見がありました。
山は実在から象徴に変わり、
ぼかしの多用は絵の中に自然現象を呼び込み、
雪や雲や霧などの塗り残して描かない部分は、
描かない故の大きな意味を持つ様になりました。
人生は生きない事で本当に生きられるからです。
そして黒く塗り潰した背景に、
私は言葉や思考や或いは現実と呼ばれるこの世界の、
移ろい行く全てのものが生まれては帰る場所、
時間を超越した沈黙と静寂を見たのです。
それは無常と無限の在り様を体験した瞬間でもありました。
今の私にとって大切なのは、
絵を描く事よりもまずこの沈黙と静寂につながる事です。
絵はそこから生まれます。
墨で描く様になってからは、
私は絵の中に自分自身を認めなくなりました。
私は絵を描くのではなく、
絵が出来る場の目撃者だからです。
私はただ観る人を映す鏡の様な絵を描ければ良いと思っています。
絵の中に自分が無くなれば無くなる程、
鏡は澄んで観る人をそのままに映します。
2017年 図録『山を描く』挨拶文
2018年 Kulturlounge PRESENCE Frankfurt am Main 個展挨拶文
「山と沈黙について」
山下康一
私の墨絵のモチーフの多くは山ですが、
そのコンセプトは沈黙の表現にあります。
ここで言う沈黙は言葉と言葉の間ではなく、
言葉の背後に常に在って、言葉が生まれて還る所、
言葉を意味付け実在たらしめているものの事です。
そして私はこの現実も私たち自身も、
同じようにこの沈黙によって意味付けられ、
実在付けられていると感じています。
世界の多くの宗教は山と深く関わりがあり、
そこでの沈黙は大変重要な意味を持ちます。
山と神聖、精神性と沈黙には大きな関係があるからです。
この山と沈黙をどう表現するか。
私は紙と墨を使い、山を塗り残して描きます。
漆黒の背景に浮かんだ山々は、近付いて見れば紙の地です。
この描かないで描き見ていて見えない虚と実の交錯の中に、
私は世界の様々な宗教や最先端の科学が説くこの現実の在り方、
例えば聖書やリグ・ヴェーダの「初めの時」や
仏教の「色即是空、空即是色」、
あるいは量子力学が提示する宇宙モデルを見ています。
近代以降人は神の束縛から解放され、
以来欲望は公に正当化されてきました。
そして人は自然や様々な学問、
そして理性でさえも欲望の実現に利用し、
その結果はご承知の通り、
地球環境の破壊と心の荒廃を招きました。
それは別の見方をすると、
人は言葉から言葉を作り出して沈黙とのつながりを失い、
喧騒の中に迷子になったとも言えると思います。
言葉(思考)の世界は相対的価値の世界です。
常に他と比較して止まず、
そのままではどこまでも喧騒(欲望と争い)の中に拡散してしまいます。
芸術の持つ役割の一つは、
そのコンセプトによって時代を反映または先取りし、
新しいパラダイムを提示する事だと思います。
これからの時代、
健全な地球と心の回復が今まで以上に重要になると思います。
そのためにはただ喧騒の中で消費される言葉ではなく、
沈黙と深くつながった言葉が必要だと考えます。
それは絵画も同じです。
2017年私の絵とコンセプトをドイツの美術史家が認めて下さり、
2018年から彼の地で個展をするようになりました。
そして此の度は山を思索の場とした
雑誌アルプの精神と真心を伝える北のアルプ美術館で、
私の絵を展示して下さる事になりました。
私の絵にとって最高のステージと、
望外の喜びを感じています。
2019年 北のアルプ美術館企画展図録『山を描く・沈黙を描く 』挨拶文