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画歴・絵について等







ご覧戴きまして誠に有難うございます。
作品につきましてはこちらをご覧戴きます様お願い申し上げます。







ご挨拶 - 山と沈黙について -


はじめに、私の絵をご覧下さいました皆様、

そしてこのサイトをご覧下さっている皆様に、

心より感謝申し上げます。


私の墨絵のモチーフの多くは山ですが、

そのコンセプトは沈黙の表現にあります。

ここで言う沈黙は言葉と言葉の間ではなく、

言葉の背後に常に在って、言葉が生まれて還る所、

言葉を意味付け実在たらしめているものの事です。

そして私はこの現実も私たち自身も、

同じようにこの沈黙によって意味付けられ、

実在付けられていると感じています。


世界の多くの宗教は山と深く関わりがあり、

そこでの沈黙は大変重要な意味を持ちます。

山と神聖、精神性と沈黙には大きな関係があるからです。

この山と沈黙をどう表現するか。

私は紙と墨を使い、山を塗り残して描きます。

漆黒の背景に浮かんだ山々は、近付いて見れば紙の地です。

この描かないで描き見ていて見えない虚と実の交錯の中に、

私は世界の様々な宗教や最先端の科学が説くこの現実の在り方、

例えば聖書やリグ・ヴェーダの「初めの時」や仏教の「色即是空、空即是色」、

あるいは量子力学が提示する宇宙モデルを見ています。


近代以降人は神の束縛から解放され、

以来欲望は公に正当化されてきました。

そして人は自然や様々な学問、理性でさえも欲望の実現に利用し、

その結果はご承知の通り、

地球環境の破壊と心の荒廃を招きました。

それは別の見方をすると、

人は言葉から言葉を作り出して沈黙とのつながりを失い、

喧騒の中に迷子になったとも言えると思います。

言葉(思考)の世界は相対的価値の世界です。

常に他と比較して止まず、

そのままではどこまでも喧騒(欲望と争い)の中に拡散してしまいます。


芸術の持つ役割の一つは、

そのコンセプトによって時代を反映または先取りし、

新しいパラダイムを提示する事だと思います。

これからの時代、

健全な地球と心の回復が今まで以上に重要になると思います。

そのためにはただ喧騒の中で消費される言葉ではなく、

沈黙と深くつながった言葉が必要だと考えます。

それは絵画も同じです。


2017年私の絵とコンセプトをドイツの美術史家が認めて下さり、

2018年から彼の地で個展をするようになりました。

2019年からは北海道の知床の入口にある斜里町の、

北のアルプ美術館で展示をして戴いております。

この美術館は山を思索の場とした芸術家たちの精神を伝える、

日本でも珍しい美術館です。

私の絵にとっては最高のステージと、

望外の喜びを感じております。


絵はその部屋の雰囲気を変える事が出来ます。

肉筆の絵には作者のエネルギーが宿っています。

好きな絵を毎日眺める事は生活に一つの軸を作ると思います。

私の絵が皆様のお役に立てる事を心より願っております。






これまでの歩み


私は群馬県に生まれ、幼少の時から自然が好きで、

里山で岩や木に登ったり川で泳いだりして遊びました。

長じて谷川連峰や北アルプスに登る様になり、

山を描きたくて二十二歳の時に独学で絵を始めました。


最初は油絵を描きましたが、

数枚描いてすぐに水彩画に転向しました。

油絵の持つ物質的で堅牢な感じが、私の描きたい世界、

この世界に感じている無常感と無限感とは違っていたからです。

それから水彩画を描いて来ましたが、

絵を始めて二十三年が経った四十五歳からは、

墨でも描く様になりました。

水彩では表現しきれないものを感じていたからです。



水彩画では薄い透明な色層を重ねて無常感を描こうとしました。

仏教の五蘊仮和合をイメージしていたのです。

しかし無限感は摑み切れずにいました。

そして水彩に限界を感じ墨で描く様になったのですが、

墨は水彩と同じ様に描いては絵にならない事が解りました。

様々に試行錯誤する中で、次々と発見がありました。

山は実在から象徴に変わり、

ぼかしの多用は絵の中に自然現象を呼び込み、

雪や雲や霧などの塗り残して描かない部分は、

描かない故の大きな意味を持つ様になりました。

人生は生きない事で本当に生きられるからです。

そして黒く塗り潰した背景に、

私は言葉や思考や或いは現実と呼ばれるこの世界の、

移ろい行く全てのものが生まれては帰る場所、

時間を超越した沈黙と静寂を見たのです。

それは無常と無限の在り様を体験した瞬間でもありました。


今の私にとって大切なのは、

絵を描く事よりもまずこの沈黙と静寂につながる事です。

絵はそこから生まれます。

墨で描く様になってからは、

私は絵の中に自分自身を認めなくなりました。

私は絵を描くのではなく、

絵が出来る場の目撃者だからです。

私はただ観る人を映す鏡の様な絵を描ければ良いと思っています。

絵の中に自分が無くなれば無くなる程、

鏡は澄んで観る人をそのままに映します。






「山、沈黙の場」

               美術史家 マリーナ・メディーナ


人類の山での体験には驚くべきものがあります。

何故ならそれによって多くの文化や宗教で、

神あるいは神々は山に住むと信じられているからです。

つまり山は宗教と霊性に深く関係があるのです。


ギリシャ神話では、

神ゼウスはクレタ島のイディ山で生まれ育ったと信じられています。

そして後にオリンポス山をその家とし、

ギリシャの神となりました。

私達の文化でも、

山は歴史上欠く事の出来ない役割を演じています。

何故なら多くの重要な出来事が山で起きたと、

ユダヤ教やキリスト教やイスラム教、

つまりエイブラハム系宗教の聖典で語られているからです。


モーゼは神ヤハウェとシナイ山で何度も会いました。

そしてそこで十戒を授かりました。

それは神と人との間の掟として定められ、

人と人との関係の在り方にもなりました。

ノアの箱船は大洪水によって四十日四十夜流されてアララト山に漂着し、

そこから新しい人類の歴史が始まりました。

キリスト教徒達はイエスが信徒達に聖なる姿を現したタボル山を、

神の変容の地と位置付けています。

コーランによれば、

ムハンマドはヒラー山で神からのお告げを受けました。


東洋の伝統的な宗教によると、

山は神、あるいは神々や精霊達の座、

あるいはそれ等の現れる場であると信じられています。

カイラス山は水晶に似た左右対象の独特な形から、

チベット仏教、ヒンズー教、ジャイナ教、ボン教の聖なる山とされています。

そしてこの宗教的重要性と尊厳から、

この山は未だに登られる事なく残されています。

そしてその信仰にすがる何千という巡礼者達が、

毎年このカイラス山の麓を回っています。

富士山、日本で最も高く、そして最も美しいこの山は、

神道において常に神の山として崇められています。

山麓や山腹にはおびただしい数の神社が建てられており、

様々な神々が祀られ祈りが捧げられています。


数多くのアーティストの中で、

山下康一のように山を霊性の場として表現し、

伝えている人は他にいません。

彼の作品は沈黙と静寂を周囲に放ち、

私達に全宇宙とのつながりを感じさせてくれます。

山下康一は日本の墨絵として知られる古い伝統的な絵画を専門としています。

日本では墨絵は禅仏教と密接に関係しています。

その本質は単純質素に還元する事であり、

極端なまでの完璧さを求めて注意が払われます。

元々この絵画技法は中国の禅僧によって用いられ、

後に日本での禅仏教の拡がりと共に、

それぞれの禅宗で集中的に用いられてきました。

そしてその本質還元の精神は、

日本の芸術に広く反映されています。


墨絵の技術を習得する為には、

途方も無い繊細さと気配りが必要になります。

何故なら墨絵は一筆一筆に失敗が許されないからです。

アーティスト山下康一のどの絵にも、

山の霊的背景が感じられるのは注目に値します。

そして彼の存在の特性が表れていて、

観る者に禅仏教の天地一体の感覚を完璧なまでに感じさせてくれます。


山下康一は禅仏教の本質である、

大いなる静謐の場としての自然を印象的に表現する、

偉大な墨絵マスターです。

この展覧会にお越しの皆様並びにこの画集をお読み下さった皆様が、

禅仏教の精神に触れて、

それを喜びと共に分かち合えます事を願っています。


Marina Medina Art Consulting 2019年 企画展

山下康一『Berge. Orte der Stille (山、沈黙の場) 』Lexus Forum Darmstadt,

図録『Berge. Orte der Stille (山、沈黙の場) 』解説文より (原文はドイツ語)






「究めれば迷わない、
  迷わなければ怖ろしくない」
              北のアルプ美術館館長 山崎猛
 
山下康一氏が描く水墨画の世界には、
不思議な力が秘められている。
人の心を動かす何かがある。
求めようとしている人だけに届く何かが…。
見ようと目を細めれば仄かに見え、
聞こうと耳を澄ませば微かに響き、
感じようと心穏やかにして時を待てば、
風に遊ぶ静謐な空間に包まれる…。

表現者であれば常に高みをめざして1から10へと登り詰めるが、
中には意を貫き0から1にと否定されつつも、
独創的な技法で歩み続けている表現者もいる。
その一人が山下康一氏だといえるであろう。

北のアルプ美術館 2019年 企画展 山下康一『山を描く・沈黙を描く 』
図録『山を描く・沈黙を描く 』より








山下康一(やました こういち)
1965年 群馬県高崎市生まれ
1987年 独学で絵画を始める
1990年 団体展・公募展に出品を始める(2017年まで)
1992年 個展で発表を始める
1998年 ヨーロッパ・アメリカの主要美術館を巡る(2007年まで)
2010年 独学で墨絵を始める。
2017年 墨絵がドイツの美術史家に「世界的歴史的に例がない」と認められる。
2018年 ドイツで個展を始める。


個展
日 本:長野44回、北海道16回、東京15回、群馬9回、京都
ドイツ:フランクフルト、ダルムシュタット
計87回


パブリック・コレクション
北のアルプ美術館


出版物・印刷物
1994年 科学論『神話と現象の森』(輪読会)
2012年 画集『水彩で描く美しい日本 Vol.3・輝ける中部』(日貿出版社)に作品3点掲載
2013〜2017年 月刊誌『一枚の繪』に作品掲載(10回)
2015年 図録『2015北海道』(自主制作)
2017年 対談集『変わった道を歩みたいあなたに』(Kindle版、三澤洋史・角皆優人・山下康一共著)
     図録『山を描く』(自主制作)
     随筆集『絵と旅』(自主制作)
2019年 図録『山を描く・沈黙を描く』(自主制作)
     図録『Berge. Orte der Stille』(Marina Medina Art Consulting)
     図録『山を描く・沈黙を描く』(北のアルプ美術館)
     (有)いろは堂2020年カレンダー(作品13点掲載)


絵画教室・ワークショップ・講演会等
2011〜2014年 大町市社会福祉協議会絵画教室講師
2017年〜 大町市で絵画教室
2018年〜 松本市で絵画教室
2019年 黄檗宗大本山萬福寺春期教育講習会で講演
ワークショップ多数(日本・ドイツ)




お問い合わせはこちらからお願い致します。







何をどう学ぶか


私は独学で絵を始めました。

はじめは画集を見て技法書を読み美術館に通って勉強し、

後に絵画団体の公募展に出品するようになりました。


絵画団体では有名な先生方先輩方に絵とは何か芸術とは何か、

どう描くべきかどう描いてはいけないかをご指導を戴きました。

しかし私にはその理由がどうしても解らず、

長く悶々としていました。

私の描きたい絵とは違っていたからです。

そこで思い切って定職を辞し、

海外の美術館で世界の傑作を直接観る事にしました。

初めての海外旅行はヨーロッパとアメリカの主要美術館をほとんど周る

丸四ヶ月の旅になり、

毎日開館から閉館まで目から血が出る程絵を観続けました。

そして解ったのは日本で言われている絵の王道は、

ある程度の絵を安全安心に描くための過去の傑作の最大公約数だという事です。

一方海外では個々人の感性を徹底的に突き詰め、

唯一無二に昇華させた作品だけが評価されるのでした。


帰国後私は独自の方法を模索し始めました。

参考にしたのは仏教、特に禅の世界や、

それに影響を受けた武芸文芸の世界でした。


大道無門 千差有路  大道に門無く 千差の路有り

透得此関 乾坤独歩  此の関を透得せば 乾坤に独歩せん(『無門関』)


発表した作品は、

地元でそして銀座で酷評されました。

曰く、正統でない、本流でない、伝統的でない、描き方が間違っている等々。

しかし私にとって大切なのは、

伝統を受け継ぐ事でも人と同じで安心する事でもなく、

絵を通して自分を、

そしてこの世界を知る事でした。


従門入者不是家珍  門より入る者は是れ家珍にあらず

従縁得者終始成壊  縁に従って得る者は終始成壊す(『無門関』)


決まった型は初心者のお手本にはなっても、

その人の個性にはなりません。

才能も環境も名声も富も絶対的なものには成り得ず、

やがて泡の如く消え去ります。

それらどれでもないものを摑めと古人は言います。


随処作主 立処皆真  随処に主と作れば、立つ処皆真なり(『臨済録』)


どこへ行ってもどこにも行かない。

どんな状況も最良のものにする。

立処皆真。

日日是好日。

私にとって絵はそれを学ぶための道でした。






道としての絵画


画家村上華岳は『製作は密室の祈り』の中にこう書いています。

「実は私は絵なんかどうだっていゝ、

描けなくてもかまはないと考へます。

若し世界の本体を摑むことさへ出来ればそれが一番大切なことです。

(略) 私が仏像を描いてゐるのは、

そこへ到達する修行に過ぎません。」


絵を通して世界の本体を摑みたいと村上華岳は言いました。

同じ事を幕末明治の剣術家山岡鉄舟も『修心要領』の中に書いています。

「余の剣法を学ぶは偏に心胆練磨の術を積み

心を明めて以て己れ亦天地と同根一体の理、

果して釈然たるの境に到達せんとするにあるのみ。」


絵で、剣で、世界を知る。

松尾芭蕉は『笈の小文』でこう語ります。

「西行の和歌における、宗祇の連歌における、

雪舟の絵における、利休の茶における、

其貫道する物は一なり。」


どんな事でもその人の心の在り方一つで世界を見つめる道となる、

その心の在り方の秘密を白隠禅師は『坐禅和讃』の中でこう語ります。

「夫れ摩訶衍の禅定は、称歎するに余りあり。

布施や持戒の諸波羅蜜、念仏懺悔修行等、

其品多き諸善行、皆この中に帰するなり。」


摩訶衍(大乗)の禅定の力が様々な行為を道に高める。

道元禅師は『正法眼蔵』の現成公案の巻で

その方法と過程をこう説明しています。

「仏道をならふといふは、自己をならふなり。

自己をならふといふは、自己をわするゝなり。

自己をわするゝといふは、万法に証せらるゝなり。

万法に証せらるゝといふは、自己の心身、

および他己の心身をして脱落せしむるなり。」


私はこの「仏道」を絵に置き換えて考えます。

絵を学ぶ事は自分を学ぶ事、自分を忘れる事、万法に証せられ脱落する事。

そこには自分と言うものは何もなく、

解釈に汚されない事実だけがあります。

私はその目撃者です。


弓術家阿波研造は「百発百中は凡射なり、百発成功は聖射なり」と言いました。

絵をどれ程巧く綺麗に描いても、

それは凡射に過ぎません。

聖射は天地と同根一体である事、

一筆一筆に絵が完成し、

一呼吸一呼吸に自分が完成している事です。

その時大道無門、立処皆真は現成します。

私にとって絵を描く事は、

そこに到るための方法なのです。








個展来場者様のご感想


*松本建速様(大学教授)
山下康一さんはまるで修行僧のように描きます。
白い紙に墨だけで。
描かれるのは信州の山々ですが、
私にはみな山下さんの心に見えます。
他に透明水彩の絵もあります。
こちらは修行の山々とは打って変わって、
爽やかな風が吹きやわらかな光が印象的です。
(2016年/ご自身のFacebookにご掲載)


*千葉海音様(シャンソン歌手・パリで13年間活動)
画家の山下康一さんの個展へ銀座へ行ってきました。
康一さんは世界中を旅しながら絵を描いておられ、
特に信州の山々を墨で描いた作品はまさに息をのみます。
そこに吹雪が舞えば私の背中にも感じるほどの、
エネルギーを感じずにはいられない作品。
最高に貴重な時間を過ごすことが出来ました。
全身全霊とはこういうことかと、
気迫を感じずにはいられません。
以前安曇野で個展を開催されておられた時に、
私をゲストに迎えて下さり、
プチコンサートとアートに対してのトークショーを
作品に囲まれながら出来たことも有難い良い思い出です。
(2016年/ご自身のFacebookにご掲載)


*角皆優人様(プロスキーヤー・潮文学賞受賞作家)
山下君の絵は、見た瞬間から圧倒的な存在感で迫ってきました。
まず強烈に感じたのは「なんとストイックな絵なのだろう」という驚きです。
これらの絵は、ある種の人たちから敬遠されてしまうほどにストイックです。
生半可に生きて、それに気付いてしまった人たちは、
この絵には向き合えないほどに。
(2017年/ご自身のブログにご掲載)


*三澤洋史様(新国立劇場主任合唱指揮者)
みなさんも山下君の絵に触れてみて下さい。
彼の水彩画は、優しく温かく、見ているだけで癒されるけれど、
水墨画になると、一転して近寄りがたいような厳しさをたたえています。
いずれも語るものを強烈に持っている素晴らしい絵です。
(2017年/ご自身のホームページにご掲載)


*松原尚人様(文筆家・ナチュラリスト)
彼の絵、ほんと、すごいですよ。
風景画がメインなんで、知る人ぞ知るという世界ではありますが、
んー、なんて表現したらいいんだろう、
絵を描くという行為を突き抜けたその先で、
絵という名の生まれ来る命と向き合っているといえばいいのか。
ふと目をやったとき、そこに今はじめて絵が生まれたって感じ。
もういっかい目をやると、またそこに絵が生まれたって感じ。
(2017年/ご自身のブログにご掲載)


*梁井朗様(アートブロガー)
長野県在住で時折札幌でも個展を開く画家の山下康一さん。
技法には一切言及せず、仏教の知恵から世界に迫る。
そして、自分は絵を描いているのではなく、
絵ができるのを目撃しているのだ…という境地に至る。
すごい。
(2017年/ご自身のTwitterにご掲載)


*遠山知秀様(武術家)
とうとうお会いして直接作品を鑑賞させていただきました!
私も山下さんの絵に一発で惚れ込むだけでなく、
ディープな話が花咲きまくりの満開状態、
山岡鉄舟や武蔵の五輪書まで話題にのぼる芸術&武術のハイブリッド談義。
実に濃密な1時間でした。
「アートの本体は作品ではなくコンセプトの事で、作品はそのイラストレーション」
「作品のコンセプトを自分の言葉で語れるかが成否の分け目」
少なくとも私は全く同感です。
だからこそ山下さんに会いたいと思って会いに行ってお話を聞いて、
そこで語られた内容がさらに衝撃的で、
これは本物中の本物、
唯一無二のコンセプトアートだと感銘を受けたのです。
山下さんの絵と山下さん御自身と直接交わした時間は、
私のこれからの人生の中で大変大きな意味を持っていると感じています。
(2017年/ご自身のFacebookにご掲載)


*林貞君様(スピリチュアリスト)
絵を観た帰り道ではっきりとわかったのは、
会場で絵を通して清々しい山々の氣(エネルギー)に触れ合えたことです。
ものすごく新鮮な空気が吸えたような感覚になって、
まるで酸素を吸いに行ったようでした。
波動が高いと言うのでしょうか、
帰りながら観てきた絵がインナービジョンに浮かび、
そこでわたしが目を閉じていたら、
「ただ在る」を観、「神」に会えたと感じました。
(2017年/ご自身のFacebookにご掲載)


*新谷奈津美様(オリンピック金メダルを目指すモーグルスキーヤー)
今日は山下康一さんの作品展へ。
日頃から自然に教わる事が多い私ですが、
この作品は美術品を見ている感覚よりも、
もっと自然界に近いものを感じました。
「山下さん」を感じない作品。
ここに、人が表現する「調和」を見ました。
(2017年/ご自身のFacebookにご掲載)


*服部洋介様(美術評論家)
私の弓の師が阿波研造の弟子だった吉田能安に
ちょろっと教えを受けたことがあったようですが、
案の定、百発百中は凡射ということで、
ただ紙の的に穴を開けたければ、矢を手で持って的に突き刺すがよい、
というようなことを言われたようです。
阿波の言葉は道元に依拠した部分が多いのですが、
かえってヘリゲルの『弓と禅』にドイツ人の目を通して見た
日本らしい日本が端的に描かれており、
そこで阿波は聖射をなすものを「それ」と呼んだということになっています。
ただ「それ」が出てくるのを待つわけですね。
「あなたが射たのではない、『それ』が射たのです」という名シーンがありますね。
描かずに絵があらわれてくるとはこの謂であろうと感じたところです。
山下さんによると、自然という対象を見ること、
そして自然を描くという行為は、分裂した個我と外在の距離を埋め、
人間における思考の性質に特有の二元論を乗り越えるための営みであるといいます。
かつてバルテュスは「偉大な芸術は対象を表象するのではなく、
それと同一化する芸術だ」と言ったものでしたが、
遠近法の発見とともに人間は自然と断絶したというバルテュス指摘は、
線的遠近法の見直しから独自の道を歩み始めた山下さんの画業と照らし合わせると
興味深いものがあります。
人間という主体中心の視座から一度降りるということが
ここでは求められているようです。
(2017年/ご自身のFacebookにご掲載)


*諏訪瞳様(シャーマン)
御山の息吹、
その存在を神と言うなら、
その畏怖をも感じる。
素晴らしいを超えている、
と私は感じました。
(2018年/ご自身のFacebookにご掲載)


*澤井俊彦様(写真家・野生のクマ撮影の第一人者)
展示された絵にはデッサン画や水彩画もありますが、
私が見たかったのは「墨絵」です。
これは和紙に筆で「水墨画」とは明確に異なるもので、
滲みがなく現代的。
グラデーションが豊富な「バライタ印画紙に焼かれたモノクローム写真」
を思わせる格調の高さがあります。
大型の墨絵の前に立つと「和」にも「洋」にも属さない、
独特の「山下調」の世界を感じ取ることができます。
こうした山下さんの個性が海外のキュレーターに見い出され、
ドイツで大規模な個展の開催が決まったそうです。
(2018年/ご自身のFacebookにご掲載)


*福田俊司様(写真家・日本人初の英国 Wildlife photographer of the year 受賞者)
Facebookを介してこの素晴らしい展覧会を知った。
芸術家のオリジナリティとは何か、
これを深く考えさせてくれる展覧会だった。
山下さん、狭い日本から飛び出して世界で勝負して下さい。
(2018年/ご自身のFacebookにご掲載)


*リーベル・トヨミ様(大学教授・ドイツ在住)
絵画は当然、音楽も執筆も素晴らしいですね。
総合芸術と言うのでしょうか。
すべてがまとまるということは、
稀有なことだと思います。
(2018年/ご自身のFacebookにご掲載)


*遠山知秀様(武術家)
改めて山下さんの絵に触れて悟ることがあります。
毎月富士宮白尾台会館から望むリアル富士山の圧倒的な大自然のエネルギーは
私の身も心も洗い流し清めて整えてくれる感じがするのですが、
それはあくまで受動的に、外から内へと流れ込んでくるもの。
対して山下さんの描いた富士山は、
私の心…深層心理・無意識の底、
中心からエネルギーを沸き起こさせ、
私の身体の中に軸を生じさせ、
能動的に内から外に向かって満たされていくことで、
私の心身を整えてくれるもの。
実際に、本当に背筋が伸びる思いがいたします。
山下さんの富士山と自然の富士山は私にとって、
陰陽の対を成す存在なのです。
(2019年/ご自身のFacebookにご掲載)


*服部洋介様(美術評論家)
この年になってみると単に感覚的なものに訴えるだけの作品よりは、
どちらかというとある実践的な認識論としての芸術行為、
すなわち「世界をどのように見るか」という、
その捉え方を提起するものとしての芸術作品に興味を惹かれるもので、
ちょうど山下氏の作品は、
人類における芸術行為の機能を一通り網羅したようなところがあって、
実に興味深いものであったから、
氏の作品のどのような面が芸術史のどの段階と結びつくものか、
それを論考するのはたいそう楽しいことであった。
(2019年/ご自身のブログにご掲載)







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by farnorthernforest | 2012-04-17 20:06 | ARTIST STATEMENT

絵と旅と日常について


by 山下康一