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大器晩成

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先日新聞を読んでいたら「大器晩成云々」と出ていた。
大器晩成という言葉に力を得てきた人は多いと思う。
私も社会の中でずっと不器用だったので、
何度この言葉を夢見ただろう。
改めてこの言葉から思う事を考えてみた。





『仏弟子の告白』という本の中にはこんな言葉が載っている。


「(人間の個体生存という)小さな家は無常である。
わたくしは幾多の生涯にわたってあちこちに繰り返し
家屋の作者(つくりて)をさがしもとめて来たが、
生涯をくりかえすのは、苦しいことである」

「家屋の作者(つくりて)よ!
汝の正体は見られてしまった。
汝はもはや家屋を作ることはないであろう。
汝の梁はすべて折れ、
家の屋根は壊れてしまった。
心は方向を転ぜられ、
まさにこの世において消滅するであろう」
(『仏弟子の告白 テーラガーター』岩波文庫、中村元訳 183、184)


ダンマパダという古いお経の中に、
釈迦(シッダールタ)が悟りを開いた時の言葉とされるものがある。
上の言葉はそれに酷似している。


「わたくしは幾多の生涯にわたって
生死の流れを無益に経めぐって来た。
家屋の作者(つくりて)をさがしもとめて。
あの生涯、この生涯とくりかえすのは苦しいことである」

「家屋の作者(つくりて)よ!
汝の正体は見られてしまった。
汝はもはや家屋を作ることはないであろう。
汝の梁はすべて折れ、
家の屋根は壊れてしまった。
心は形成作用を離れて、
妄執を滅ぼし尽くした」
(『真理のことば・感興のことば』岩波文庫、中村元訳 153、154)


また映画『リトル・ブッダ』の中ではキアヌ・リーブス演じるシッダールタが、
マーラ(魔神、自我の投影)との壮絶な戦いの果てにこの言葉を静かに語り、
マーラは花びらの散り敷く中に消え去る。
感動的な場面をとても美しい映像で描いていた。



私にはこの二対の言葉はずっと謎であった。
繰り返す生涯も、家屋も、作り手も、梁も屋根も。
しかし全ては執着する自我の投影だったのだ。

執着する自我(自我とは執着するもの)は、
”自分”という強固な家を作り上げる。
その梁や柱を一つずつ壊して行けば、
ある時家は一気に崩れ落ちるだろう。

”大器晩成”をある辞書で引くと、
「大きな器が早く出来上がらないように、
大人物は世に出るまでに時間がかかるということ」
と出ている。
そしてこれは多くの人が生涯努力を続ける際の、
心の支えとしてきた言葉だと思う。
大器晩成は自尊心を支える。

しかし”大器”も”晩成”も、
他人による他と比べての尺度である。
それは一つの執着であり、
自我という幻の家の柱や梁の一つである。
そして「大器晩成」が支える自尊心も、
同じく柱や梁の一つである。

本来の生をそのままに生きるのであれば、
他人と比べて大器かどうかなど関係なく、
他人と比べての晩成もどうでも良い事だ。
ただ今を生き今に完結していればそれで良い。

ブッダには有名な「筏の喩え」がある。
大器晩成という言葉は河を渡る筏である。
どんなに立派な筏でも、
渡ってしまえばそれに執着してはならない。

臨済録を読むと臨済は経典を”トイレットペーパー”と言い放つ。
「仏に逢っては仏を殺し、祖に逢っては祖を殺し」と、
何物にもとらわれない自由人の姿がそこにある。
大器晩成という言葉も、
いつかは手放さなければならないものだと思う。





余談だが、
この「大器晩成」は『老子』第四十一章に出て来る言葉であるが、
これは「大器免成」の写し間違いだという事が分かっている。
これだと「大器には完成という概念がない」という意味になる。

「大器晩成」は早い遅いの二元的世界観で、
何やら老子らしくない言葉だと思っていたが、
「大器免成」なら至極納得出来る。














by farnorthernforest | 2014-04-20 18:33 | 日々の事について

現代風景画家 山下康一のブログ


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