友人の旅立ち
2017年 11月 19日

また一人、
絵を描く友人が亡くなりました。
彼は高校三年の時のクラスメイトで、
大学も研究室も一緒でした。
彼は高校時代からちょっとした有名人でした。
絵を描き、小説を書き、ブラスバンドの指揮者をし、
いつも人とは違う視点から発言し、
それでいて人に嫌われるという事がなく、
いつも仲間達の中心にいました。
私は大学卒業後就職しましたが、
彼は大学院に残って研究と絵画制作と文筆活動に勤しみ、
卒業後は研究所の助手や大学の講師などをしながら、
現代アートの画廊で絵を販売し、
小説が雑誌に掲載されたりと、
マルチプレーヤー振りを発揮していました。
今年の春、
遠方に住む彼に久し振りに個展の案内状を送ってみると、
体調を崩して郷里に帰っているとメールが来ました。
早速故郷の彼の家を訪ねると、
病状はかなり進行している様子で、
家を出て故郷の自然の中を車で走り、
昔の思い出話などをしながら穏やかな時間を過ごしました。
そして私が実家に帰る度に何度か訪ね、
今年秋の最後の個展の帰りに病院に立ち寄り話をしました。
その時はもう声もかすかで一言いうのがやっとで、
何を言っているのかと真剣に聞いていると、
またいつもの冗談を言っているのでした。
その一週間後、
私はギターを持って妻と病院を訪ねました。
そして彼の奥さんと三人で、
高校時代のヒット曲、
松田聖子や中森明菜や小泉今日子などを個室の病室で歌いました。
高校時代、文化祭のメインイベントの紅白歌合戦で、
彼はブラスバンドの編曲と指揮をし、
私はエレキバンドでベースを弾いていました。
もうほとんど反応しなくなっていた彼の目尻に涙を見、
時間も空間も超えた世界を共有できた気がしました。
次の日の夜に彼は旅立ちました。
葬儀の時に奥さんからこんな話を聞きました。
彼は自分のブログに自分のお墓を作ってあって、
自分亡き後それをアップするよう友人に託したと。
ところが忘れていたのか故意なのか、
ブログ編集のパスワードを伝えていなかったそうです。
最後の記事をアップするためのパスワード探しは、
今大学一年生の一人息子に託されました。
私はこの話を聞いていて、
これは彼が故意に残した遺言ではないかと感じました。
人々は皆それぞれ人生のパスワードを探しながら生きています。
旅立つ直前にそれを解いた彼は、
残された者達にその秘密を投げ掛けたのではないかと。
彼がブログに私の事について色々と書いていてくれて、
その中に絵の感想もあるのでご紹介させて戴きます。
「絵を描くという行為を突き抜けたその先で、
絵という名の生まれ来る命と向き合っているといえばいいのか、
ふと目をやったとき、そこに今はじめて絵が生まれたって感じ。
もういっかい目をやると、またそこに絵が生まれたって感じ」
彼はこの言葉の責任を取るために、
これからいつも私を監視し続けるでしょう。
三年前にも絵を描く友人が旅立ちました。
彼も同じく高校三年の時のクラスメートでした。
真っ当な仕事に就き奥さんと子供さん二人を養いながら、
全く独自の絵を描いていました。
そして地元と東京で何度も個展を開いています。
二月、単身赴任先の地の美術館の駐車場で亡くなり、
翌朝警備員が発見したそうです。
私は亡くなる三週間前に会っていて、
彼は赴任先の地でも個展がしたいと言っていました。
形見とて なに残すらむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみぢ葉
うらをみせ おもてをみせて 散る紅葉
散る桜 残る桜も 散る桜
残る桜の生き方が問われています。
by farnorthernforest
| 2017-11-19 11:33
| 日々の事について
