ドイツの旅 3
2017年 12月 06日

今日はまずシュテーデル美術館に行きました。
常設展は中世の宗教画から現代アートまで通観し、
特別展では「マティスとボナール」を観ました。
西欧の美術館に来ていつも思うのですが、
美術史を通観出来る展示は毎回新しい発見があり、
何度観ても大変勉強になります。
日本にこういう展示がほとんどないのが本当に残念です。
また特別展は世界中から傑作が集められ、
これも毎回本当に見応えがあります。
なぜ日本でこういう展示が出来ないのかといつも思います。
(その理由は聞いてはいますが)
日本の展覧会では目玉はせいぜい数点です。
昔、シカゴ美術館で「ゴッホとゴーギャン」という展示を観ました。
二人が出会う前、出会って後、そしてそれぞれの道へ、
世界中から集められた作品が年代を合わせて展示され、
二人がお互いにどれ程強く影響され成長したか、
大変良く解る素晴らしい展示でした。
今でも思い出します。
シュテーデル美術館で四時間程過ごし、
次は現代美術館へ向かいました。
ところが美術館の前に面白いギャラリーがあり、
結局そこで二時間近くを過ごしたしまい、
現代美術館には行けませんでした。
しかしギャラリーで大変面白い話を聞く事が出来、
結果的には充実した一日になりました。

ここからは思い出した話など。
大学一年だった十九の時、
私は熱力学の法則に取り憑かれた様になりました。
いわゆるエントロピーの法則ですが、
私はそれを通して人間とは何か自分とは何かを考えていたのです。
そして大学二年生の二十歳のある日、
道を歩いていてある啓示に打たれました。
自分は宇宙のエネルギーの一瞬の吹き溜まりであると。
あれから三十数年経って、
その考えは基本的には変わっていません。
ただ以前と今とで違うのは、
以前は吹き溜まりに自分と言う枠を考えていたのが、
今は枠を考えていない事です。
誰の言葉か分かりませんがこんな言葉がありました。
「何か新しい物を手にしたければ、
今持っている物を手放さなければならない」
また道元禅師はこう言いました。
「放てば手に満てり」
世界はエネルギーと情報から成り立っていて、
それは常に変化し続けています。
我々の体も他の動植物も山も川も雲も同じです。
それが量子物理学の知見です。
そのエネルギーの流れの変化に先の見えない不安を感じ、
未来を予想し何かをする事は、
人として自然ではありますが、
そのエネルギーの自由な流れを制限する事になります。
しかしそれをそのままに手放す勇気があれば、
可能性は無限のままで、
もしかしたら予想以上の物を手に入れられるかも知れません。
私が「絵を描くのではなく絵が出来るのを目撃する」と言うのは、
無限の可能性をなるべく無限のままに任せておく事の、
別の言い方なのだと思いました。
他に「自分がただの道具になる」とか、
「何かが乗り移る」という言い方も、
同じ事の別の言い方だと思います。
先の見えない不安とそれをそのままにする勇気のせめぎ合いが、
創造の母体なのかも知れません。
不安に負ければコンベンショナルな作品に、
打ち勝てば新しい創造が生まれるのかも知れないと思いました。

by farnorthernforest
| 2017-12-06 09:11
| 旅の事について
