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不覚の涙




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急に涼しくなって秋が舞い込み、
ちょっと立ち止まると自然の移り変わりを見つけます。
少しセンチになったのでしょうか、
突然何かを思い出したりする事があり、
そんな時はしばらくそれを眺めています。







西来祖道我伝東 西来の祖道、我東へ伝う
磨月耕雲慕古風 月を磨き雲を耕して古風を慕う
世俗紅塵飛不到 世俗の紅塵、飛んで到らず
深山雪夜草庵中 深山雪夜草庵の中

インドから中国に伝わった仏法を私は更に日本へ伝えた
月を磨き雲を耕しながら先人たちの生きて来た道を想う
世の中の雑音はここには聞こえて来ない
深山の雪の夜の草庵の中



道元禅師の漢詩です。
「磨く」は本当は違う字なのですが、
変換できなかったのでお許し下さい。



仙桂和尚真道者  仙桂和尚は真の道者
黙不言朴不容   黙して言(い)わず朴にして容(かたちつく)らず
三十年在国仙会  三十年国仙の会に在りて
不参禅不読経   禅に参ぜず経を読まず
不道宗文一句   宗の文の一句もいわず
作園蔬供養大衆  園蔬を作って大衆に供養す
当時我見之不見之 当時我これを見てこれを見ず
遇之遇之不遇   これに遇いこれに遇えども遇わず
吁嗟今倣之不可得 吁嗟(ああ)今これを倣(なら)うも得べからず
仙桂和尚真道者  仙桂和尚は真の道者

仙桂和尚は真の人だった
いつも黙っていて飾る事なく
三十年間国仙和尚のお寺に住んで
坐禅もせず読経もせず
仏の教えの一言も言わず
野菜を作って修行者たちを養っていた
あの頃の私はそれを見ていながら大切な事がわからなかった
会っていながら本当に会ってはいなかった
ああ今それを学ぼうとしてももう遅い
仙桂和尚は真の人だった



良寛の偈頌です。
こういう事はよくありますね。
だから人は前に進めるのでしょう。









去年亡くなった友人のブログを見ていました。
よくは知りませんが、
管理者のいなくなったブログはいずれ消去されてしまうと思い、
時々読み返したりしています。





映画『PK』、面白過ぎ。1

このところ、映画の話題が多くて恐縮ですが、
群馬に転居してから入院したときに見た映画の話。

映画『PK』(ピーケー)
このブログに何度か登場してもらった画家の山下康一氏が、
最近何度も繰り返して見た映画のひとつというので、
他のお勧めと合わせてamazonでDVDを買って病院へ。
コメディ、
って書いてあったから時間をうまく使えないでいるときに丁度いいかなあ、と。
びっくり。
こんな面白い映画があったなんて。
知らなかったよ。
退院してから今に至るまで、
いったい何度繰り返し見たことか。

一応、基本情報。
『PK』(ピーケー):2014年のインド映画。SFコメディ。
監督は2009年公開の『きっと、うまくいく』のラージクマール・ヒラーニ。
主演は、アミール・カーン。

2014年の映画だって。
まるで知らなかったのがちょっと悔しい。
でも、公開直後に映画館に行ったりしたなら、
きっと一度見て終わりだったな。
その意味じゃ、
何年遅れであろうとDVDを買って何度も見られるってのは大正解。
ラッキー。

※同時に山下氏に紹介してもらった映画(例えば『チャンス』)については、
また別の機会に。





映画『PK』、面白過ぎ。2

えっと、映画『PK』(ピーケー)について。
この映画はコメディ映画。
だから泣いて笑って楽しめる。
んでもって、インド映画。
だから当然、ミュージカル風ダンスと歌が発作的に入る。
SF的要素によって、
物語を成立させるための条件設定と世界観、
宇宙(この世界)全体へ思いを馳せたときに気づいてしまう壮大さが準備され、
最初から最後までメインテーマのごとく扱われる
「宗教」というもの抜きにしてこの物語は全く成り立たない。
その意味じゃ、
これらの要素は物語を進める欠かせないエンジンだし、
「宗教」や「神様」に立ちむかおうとするPK
(あ、これ、主人公の一応の名前ね。ピー・ケイと呼びます)
の姿は、それだけで胸を打つものがある(音楽もよく合ってるしね)。
宗教でうんちくを語りたいひとには格好の餌というか、
燃料にもなる。

でもね、これ、コメディー映画なんですよね。
深刻なテーマとして扱われていた宗教や神様全てがいつのまにか馬鹿げたものに変貌して、
泣いて笑って楽しめる。
インド映画ならではの歌やダンスも、
ものすごく効果的にいい感じで入ってる。

そんなわけで泣いて笑って楽しんで、
ふと気がつけば、
この映画に無くてはならず、
物語を成立させる欠かせないものだと思っていたSF的構成や、
主要テーマのごとく扱われていた「宗教」や「神様」というものが、
ほんっと、
どうでもいい枝葉のことでしかなくなっちゃってるのね。
大事なのはそれじゃないでしょ、
もうわかっちゃってるよね。
みたいな。

となるとさ、
皮肉やちゃちゃ入れに留まらない、
質のいいコメディーにときどき起こることがこの映画にも起きてくる。

つまり、まるでコメディーじゃなくなっちゃうんですよ。

1回じゃ難しいけど、
2回目以降ならどこで誰がどういう場面でどう振る舞ったかってのが把握できてるはずなので、
そのつもりで見ると全編泣ける映画に変貌します。
悲しい涙、嬉しい涙、悔しい涙。
無念の涙。
手放しの感情そのままに出てしまう無防備な涙。
出所不明理由不明のどこからかあふれてくる涙。
嗚咽まで呼ぶ気まんまんのふてぶてしい暴力的涙。
よかったねえよかったねえと、
無邪気に流せる涙。

ほんと、泣けるよ。

いや、泣きました。


そういう映画。







そして私も再び『PK』を何度も観ました。
何度観ても、
もう分かっているのに出てしまう涙。
この涙は一体何なのでしょう。
良寛の詩を思い出しました。





坐時聞落葉 坐時落葉を聞く
静住是出家 静に住すはこれ出家
従来断思量 従来思量を断ちたれども
不覚涙沾巾 覚えず涙巾を沾(うるお)す

庵に坐して落ち葉の音を聞いている
心静かに暮らすのが出家者というものだ
長い間思慮分別を断つ修行を積んで来た
それなのに思わず涙が溢れて手ぬぐいを濡らしてしまった





記事1の最後に予告されていた『チャンス』(ピーター・セラーズ主演)について、
彼はとうとう書く事なく逝ってしまいました。



















by farnorthernforest | 2018-09-23 11:26 | 日々の事について

制作や旅や登山についてなど。


by 山下康一