貧乏性
2020年 01月 31日
昨年からファミレスや喫茶店でゆっくりする様になりました。
54歳にして初めてです。
母の介護の隙間に行くようになったのがきっかけですが、
今でも時々行って本を読んだりしています。
今まで会合など特別の用事がない限り、
自分では喫茶店やレストランに決して行かなかったのは、
「贅沢は悪」という貧乏性が骨の髄まで染み込み、
それに知らず知らず縛られていたからです。
気が付けばそんな考えは幻でした。
私は高度成長時代に幼少期を過ごし、
バブルの頃に成人しました。
しかしいつも食べる物が無くお腹を空かせていました。
子供の頃は服も学用品も買ってもらえませんでした。
大学時代は仕送りなどとんでもなく、
授業料生活費全て自分で稼いで卒業しました。
そしてこれが自分の人生だと思い、
その経験が作り出した「貧乏性」を金科玉条とし、
それがその後も続いていました。
廬山煙雨浙江潮
未到千般恨不消
到得還来無別事
廬山煙雨浙江潮
(蘇東坡詩)
廬山は煙雨、浙江は潮
いまだ到らざれば千般の恨み消せず
到り得て還り来たれば別事無し
廬山は煙雨、浙江は潮
(盧山は中国江西省九江市にある世界遺産の山、
浙江省は上海市の南に位置し東シナ海に面する)
自分はこういう人間であるとか、
自分の人生はこういうものだとか、
それらは全て「思考」の産物です。
そこに自分も生まれて来た理由もありません。
by farnorthernforest
| 2020-01-31 15:21
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