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正受老人




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この春地元の古書店で一冊の本を見つけました。
『正受老人の詩と偈頌』という本で、
昭和六十年信濃教育会発行となっています。
定価は2,500円となっていますが、
当時のこの値段はかなり高額だったと思います。

正受老人は正式には道鏡惠端というのですが、
晩年長野県飯山市の正受庵に住んでいたので、
正受老人の呼び名で通っています。
この人は白隠禅師の師としてよく耳にしますが、
私は今まで遺偈以外の言葉を知りませんでした。

法系は「愚堂東寔ー至道無難ー道鏡惠端ー白隠慧鶴」となり、
それぞれに大変興味深い物語があります。
また同時代の禅僧には盤珪永琢がいました。
盤珪禅師の言葉はこのブログで何度もご紹介して来ました。

正受老人の言葉は大変貴重だと思いますので、
ここで少しだけご紹介させて戴きます。







『即身即仏』
不断諸相 諸相を断ぜず
豈厭万法 あに万法を厭わん
仏祖門中 仏祖の門中
無嫌底法 嫌う底の法無し

『身は仏』
何事も判断しない
どうして何かを嫌う事があろうか
釈尊や祖師方の教えには
嫌うという行いはない



判断しないとか嫌わないとか、
何の事か解らないと思います。
人が生きる上で最も大事なのは、
物事を正しく判断する事です。
その上で良い悪い好き嫌いが生じます。
これは余りに当たり前の事です。

しかしそれが仏仏祖祖の言う迷いと苦しみの根源、
聖書に言う禁断の果実、
必ず死す運命になる人間の原罪です。
更に見てみましょう。



『水月』
一月万水 一月万水
万水一月 万水一月
刹刹塵塵 刹刹塵塵
間不容髪 間に髪を容れず

『水に映る月』
一つの月は全ての水に映り
全て映っている月は一つの月だ
一瞬一瞬全ての事に
人の考えなど入る隙が無い



『本心智鏡流』
思慮絶処 思慮の絶する処
心為在此 心為は此に在り
善応無方 善く無方に応じ
如月点水 月の水に点ずるが如し

『本当の智慧は鏡のように曇りがない』
思考考えが無いならば
心も行いも今ここにある
融通無礙で自由自在
どんな水にも月が映るようなものだ



もし月が自由自在でないならば、
どんな水にも映るという事はないですし、
もし水が濁っていたり表面が波立っていたら、
月をそのまま映す事はありません。
どちらも二つながらに大事な事で、
どちらも同時に起こらなければなりません。



『常住不怠』
行住坐臥 行住坐臥
無聖無我 聖無く我無し
常転此経 常に此の経を転じ
刹那不惰 刹那も惰らず

『常にそうして怠らない』
行住坐臥
聖も無ければ自分も無い
常にこのお経を心に行じ
一瞬たりとも怠らない



物事を判断しない事。
そして自分をつけない事。
判断した瞬間それをやめる。
「自分が・自分の」が生まれた瞬間にそれを抜き取る。
外から見える行いだけではありません。
心の中でも怠ってはいけないのです。



『煩悩即菩提』
運用得無礙 運用の無礙を得れば
煩悩即菩提 煩悩は即ち菩提
別存修道意 別に修道の意存らば
欲東却奔西 東を欲して却って西に奔る

『煩悩はそのまま悟り』
自由自在に生きられるようになれば
煩悩はそのまま悟りになる
何かをしようと思ったら
東へ行くのに西に走り出すようなものだ



何かをしようと思わないというのは、
実はとても難しいのです。
何かをしようと思わないようにしたら、
それはもう何かをしています。

しかしそんな事をしていたら、
日常生活が送れないと思うでしょう。
しかし実際には思う方が送れていないのです。

前回も少し触れましたが、
剣術の柳生但馬守や宮本武蔵や山岡鉄舟、
弓術の阿波研造や画家の中川一政の言葉は、
その事について触れています。



『鑓二首(其の一)』
利鑓常提坐紅塵 利鑓常に提げて紅塵に坐す
日久月深知得神 日久しく月深くして神を知得す
無影樹根無作術 影無き樹根は無作の術
依然本提旧時人 依然として本提れ旧時の人

『槍二題(その一)』
鋭い槍を手にこの世の中で坐禅する
長い努力で最も大事な事を知るようになる
心身の自由は外から見えない根のようなもの
人には前と変わりなく映るだろう



『鑓二首(其の二)』
纔有偏倚 纔かに偏倚有れば
所作不利 所作は利ならず
恰恰無心 恰恰として無心ならば
活潑潑地 活潑潑地

『槍二題(その二)』
少しでも心に判断が起こると
行いは囚われうまく行かない
現実から離れず唯そのままであれば
心も行いも自由自在だ



人は様々な判断の中で生きています。
文化や習慣や慣習や法律や、
実に様々な規範の中で生きています。

それらに縛られずに生きるというのは、
それを無視したり軽んじたりする事ではありません。
無視したり軽んじたりするためには、
まずそれらを認識しなければなりません。
その認識以前の事を言っているのです。

次は正受老人が人々をどう指導したのか、
それが判る偈頌をいくつか拾ってみました。



『有俗士来問古人請人人有一巻経
 如何是一巻経予答云』
出息入息 出息入息
自朝至暮 朝より暮に至り
自暮至朝 暮より朝に至る
仏仏祖祖 仏仏祖祖

『ある人が訪ねて来てこう聞いた
 昔の僧が誰でも一巻の経典を持っていると言ったが
 その経典とは何ですか。私はこう答えた』
息を吐き息を吸う
朝から晩まで
晩から朝まで
どの仏も祖師たちも



『或問端子意頌答』
欲得山僧意 山僧の意を得んと欲せば
庭前一樹松 庭前の一樹の松
三冬添緑色 三冬に緑色を添え
九夏起微風 九夏に微風を起こす

『ある人が私の考えを聞いたので詩で答えた』
私の意味する事を知りたいなら
前庭にあるあの松の木だ
冬の三ヶ月は緑色を見せ
他の九ヶ月はそよ風を起こす



『示衆』
疑団即破後 疑団即ち破れて後
古如喪考妣 古の考妣を喪するが如し
事頓難為除 事は頓に除くこと為し難し
慎終当如初 終りを慎むことまさに初めの如し

『皆に示して言う』
全ての疑いが無くなったら
昔は親の喪に服すようにしたものだ
全ての疑いを晴らすのは難しい
そして晴らしても初心者のように慎みなさい



次は正受老人の生活が判る偈頌です。
微笑ましいものばかりです。



『和』
山家風雪遠離人 山家の風雪、人を遠離す
蟄坐衾寒春不春 蟄坐、衾寒くして春は春ならず
乍得清樽起驚躍 たちまち清樽を得て起ちて驚き躍る
独吟独酌楽頻頻 独吟独酌、楽しみ頻頻たり

『和す』
山深い我家は吹雪になれば人を寄せ付けない
庵に籠り坐禅しても服は寒く新春も春とは思えない
突然酒を贈られ坐から立ち驚き躍った
一人酌をし詩を吟じて大いに楽しんだ



『月夜訪僧』
偶剋良宵謁老禅 たまたま良宵を剋して謁老禅に謁す
石炉湯沸意懽然 石炉に湯沸いて意は懽然たり
話酣不覚東方白 話たけなわにして東方白むを覚えず
被暁鴉驚笑却還 暁鴉に驚かされて笑って却き還る

『月の夜に友達を訪ねる』
たまたまよく晴れた月夜に旧友を訪ねた
炉にお湯が沸いていてその心遣いが嬉しい
会話が弾んで東の空が明らむのも気付かず
朝の鴉の鳴き声に驚かされ笑って帰って来た



最後は正受老人の遺偈です。
遺偈は禅僧が死を目前にして残す偈頌です。
正受老人のこの遺偈には、
とても神聖な空気が漂っています。



『坐死』
末後一句 末後の一句
死急難道 死は急にして道い難し
言無言言 無言の言を言とす
不道不道 道わじ道わじ

『坐禅しながら死ぬ』
最後の言葉
死の事実は一瞬の隙もなく言いようが無い
無言の言葉を遺言として残す
言わない言わない



*漢字は今の漢字に改めてあります。
*訳は本を参考に山下が行いました。



















by farnorthernforest | 2021-06-07 16:16 | 日々の事について