人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Do you know me?




Do you know me?_e0273524_18553073.jpg






昔クレジットカードのCMに、
「Do you know me?」
と言うフレーズがありました。
誰もあなたの事を知らない場所でも、
このカードさえあれば大丈夫、
という様な内容だったと思います。

この言葉はもちろん他人への問いなのですが、
自分自身への問いでもあると思います。
自分自身にこう聞いてみる、
「Do you know me?」



自分が誰であるかは、
何年何月にどこで生まれ、
どんな学校を出て何を学び、
どんな仕事をしているとか、
どんな性格で何が得意で、
何が好きで何が嫌いだとか、
色々説明出来るでしょう。

しかしそれらを証明するのは簡単ではありません。
出生については役場の書類が必要ですし、
学歴については学校の証明書が、
仕事は職種によって証明方法が違うでしょうし、
性格その他については、
とりあえず自己申告を信じてもらうしかありません。

自分は現にここにいるのに、
その自分を自分以外のものでしか証明出来ない。
これは何とも滑稽に思えます。
しかしここで問題にしているのは、
過去から現在へそして未来へと、
水平的につながる自分です。



ではそれ以外の自分があるのか。
それは今ここに現象として現れた自分です。
それは水平的な時間上の自分に対して、
この瞬間に垂直的に現れた自分です。

この世界には今とここしかありません。
過去や未来は記憶や想像の中にしかありません。
それは誰にとっても同じです。
今ここに現れた自分は、
過去や未来から切り離されていますから、
生年月日も学歴も性格や嗜好もありません。
あるのは今とここに起こっている事だけです。

水平的自分の世界は自我を中心にした世界です。
お互いがお互いの自我を前提に判断し行動します。
しかしそれは本当の現実ではなく概念上の現実です。
そして人間関係はその概念上の現実をすり合わせて、
どっちが正しいとか間違ってると言っている状態です。

なぜなら過去も未来も現実には存在しませんが、
それらを前提とした上で、
歴史的文化的個人的経験や知識から、
善悪・正誤・美醜などの判断を加えている、
想像の世界だからです。

しかし垂直的自分の世界は常にその一瞬で切り取られていて、
自我を中心に物事を判断し行う事は出来ません。
なぜならその一瞬には何一つ欠けたものはなく、
善悪・正誤・美醜などもなく、
ただそれがあるだけだからです。

それはもっと言えば自分すらもありません。
自分というのは持ち出した瞬間に概念でしかなく、
現実は概念を差し挟む時間も隙間もありません。



自分がないのに行動出来るのか。
物事を正しく判断出来るのか。
出来るのです。
動物たちはそれをしています。

概念は常に現実の後に作られます。
しかしそれはもう現実とはかけ離れています。
現実ではなく概念の世界に生きる事が、
迷いや苦しみの根源だと、
今から約2,600年前にブッダは見抜きました。

しかし水平的自分と垂直的自分という説明ですら、
もう既に概念の世界でしかなく後の事です。
これらは一つの例えであり矢印のようなものです。
現実はその前にあります。
しかもその前を考えてもそれは全て後の事です。

「Do you know me?」
達磨大師はインドから中国に来て武帝と面会した時に、
「朕に対する者は誰ぞ (私の前にいるお前は誰だ)」と聞かれ、
「不識 (知らない)」と答えました。
今ここに起こった瞬間には自分も他人もいません。
そして今もここも瞬間も、
それを認識した時には既に後の事でしかありません。



















by farnorthernforest | 2023-08-21 20:03 | 日々の事について

制作や旅や登山についてなど。


by 山下康一