このブログは元は2008年にYahoo!ブログで始め、
2012年にYahoo!ブログが閉鎖になったので、
ここに引越しして続けて来ました。
最初の頃はよく旅の事について書いていました。
その旅というのは絵で立つと決めて定職を辞し、
ヨーロッパとアメリカの美術館を4ヶ月掛けて周り、
その後も毎年1〜2ヶ月世界を周った、
その道中についてでした。
なぜ世界を周ったかと言いますと、
当時は東京の公募展に出品していたのですが、
そこで諸先生方にご指導戴いた事が理解できず、
また理由をお尋ねしてもお答えを戴けなかったので、
「これは自分で探すしかない」と思ったからです。
無謀にも世界中の歴史的傑作を直接この眼で見れば、
きっと解るだろうと思ったのです。
最初の海外旅行は33歳の時です。
退職金と貯金で約90万円を外貨に変え、
航空券は「準世界一周」というものを28万円で買い、
ヨーロッパ、イギリス、アメリカ国内を周ったので、
紙チケットは分厚い束になっていました。
それからコロナ前の2019年まで、
父が急逝した2008年を除き、
毎年海外へ出掛けて美術館やギャラリーを周り、
スケッチをし、
現地のアーティスト達と交流して来ました。
私の絵に対する考えはこの時に作られました。
そしてその絵と考えは、
日本の個展で徹底的に批判される事で磨かれました。
もしそれがなかったら、
私の絵は今の様には決してならなかったでしょう。
なぜこう描いてはいけないのか、
なぜこう考えてはいけないのか。
時には有名な先生方に罵倒さえされながら、
私の絵は鍛えられ純粋になりました。
それは私自身の生き方にも大きな影響を与えました。
今でも国内の個展では「描き方が間違っている」など、
色々と批判を頂戴します。
しかし今ではそれを聞く度に私は何か嬉しくなります。
なぜならその日本では「間違っている」事が、
そっくりそのまま海外で評価されているからです。
若い時は批判される度に傷付き落ち込みました。
一時は個展の赤字も重なって、
もう絵をやめようかとさえ思いました。
しかしそれは私が通らなければならない道程でした。
今では感謝しかありません。
その旅の記録がこれからご紹介する旅行記です。
最初の随筆集を自主制作した時に、
これらの記事は収録しませんでした。
当時は何か泣き言や愚痴の様に感じられて、
とても人様に読んで戴くには値しないと思ったからです。
それは今でも同じです。
しかし改めて読み返してみると、
一つ一つの記事はやはり泣き言や愚痴ですが、
通して読むと何か謎解きや答え合わせの物語の様に思われ、
何かヒントになる方もいるのではないかと思い、
ここで一つにまとめてみました。
絵を描きながら長年毎年の様に海外旅行に行って、
さぞ大金持ちのお坊ちゃんと思われるかも知れません。
そう思って戴ければ大変嬉しいのですが、
実際は「そんな収入で人間が生きられる筈がない!」
と言われる極貧の生活でした。
率の良い肉体労働を年に7ヶ月して、
残りの5ヶ月を絵に充てる、
そんな中で毎年一回海外へ出掛ける。
そのサイクルを長年続けました。
大きな病気も怪我もなくよく続いたと思います。
そしてその旅行も超貧乏バックパッカー旅行です。
その間には2001年のアメリカのテロもありました。
(この時の事は随筆集に載せました)
今ではとても出来ない過酷な旅行ばかりでしたが、
若かったから出来たし、
若い頃にやっておいて本当に良かったと思います。
それぞれの記事のリンクと概要は次の通りです。
2013年の『ニューヨークの旅』では、
自分の絵について、
そして自分自身について、
私が密かに思い続けていた事を初めて書きました。
この頃に墨絵のスタイルが確立しました。
2014年の『アリゾナ・ニューメキシコの旅』では、
古代芸術と現代芸術、
そして日本の芸術と海外との違いについて書きました。
2015年の『セドナ・ワシントンDCの旅』では、
前年の経験を踏まえて私の進む方向を、
中世の宗教画とセザンヌを通して書きました。
この頃に絵のコンセプトが確立しました。
2016年の『バリ島の旅』では、
奇跡について、
そして自分を許す事、
自分との和解について書きました。
2017年の『ドイツの旅』では、
絵をやめる覚悟で訪れたドイツでの出会いと、
個展のオファーを戴くまでの経緯について書きました。
2018年の『ドイツ個展の旅』では、
これまでの旅の答え合わせが、
全てここで出来た事を書きました。
随筆集や図録等については、